今回は「ハードゲーマー」について考えました。
ずばり、ハードゲーマーに必要なのは「量」か「質」か。
ハードゲーマーという存在
まずハードゲーマーってなんぞや?誰ぞや?というところなんですが、
厳密な定義がないだけに、皆さんそれぞれの価値観で扱っていると思います。
一般的な見られ方として「ゲームに熱心で、長い時間遊んでいて、上手い」というのがハードゲーマーに当てはまると思います。
反対にライトゲーマーは「ゲームにあまり熱心でなく、少しだけ遊ぶ、それほど上手くない」というのが当てはまると思います。
今回は少し踏み込んで、ハードゲーマーをハードゲーマー足らしめるものについて考えます。
タイトルでは「量」と「質」と書いていますが
量とは「ゲームの数」のことで、質とは「1本のゲームに掛けた時間」のことです。
- 多くのゲームを遊ぶが、やり込みはさほどでもない
- やり込みは凄いが、遊ぶゲームは少ない
ハードゲーマーにはどちらが必要なのか?
ハードゲーマーに必要なのは量か質か
(画像はNintendo World Championships ファミコン世界大会)
まず「質=やり込み」の方からですが、
やり込みが凄い方が当然、ハードゲーマーと言えるでしょう。
例えば対戦ゲームならやり込んでいて強い方がハードゲーマーと言えるでしょうし、掛けた時間が長い方がハードゲーマーと言えるでしょう。
対戦がないゲームでも、ただクリアするだけよりも何周も遊ぶ方がハードゲーマーで、RTA的な記録を目指して遊んでいる人の方がハードゲーマーと言えるでしょう。
しかしそのやり込みが凄い人が、他のゲームをほとんど遊ばない人だったとしたらどうでしょう?
例えば年に3000時間ぐらいゲームを遊んでいたとしても、年に2・3本しかゲームを買わないとしたらその人はハードゲーマーと言えるでしょうか?
ゲームには多数のジャンルがあり、数え切れないぐらい多くのソフトが世に出ているわけですから、ハードゲーマーの資質としても多くの知識を問われるはずです。
そういうことで「量=遊んだ本数」が多い方がハードゲーマーと言えるでしょう。
>で、結局どっちなのよ
結論としては、どちらも相容れない主張=どっちも重要なんだと思います。
それでいて互いに相手を羨ましいとも思っている気がします。
少ない数しか遊ばない人は、たくさん遊んでいる人を凄いと思って
あまりやり込まない人は、やり込んでいる人を凄いと思うという具合に。
お金も時間もないとハードゲーマーにはなれないのか?
ゲームを好きなだけ買うお金と、ゲームを好きなだけ遊ぶ時間を両立できる人は本当に少ないと思います。
両立できる人でも期間は長くないはずなので、それを過ぎたらハードゲーマーでなくなると言うのは寂しいというか、違う気がしますね・・・。
やはりハードゲーマーとは量でも質でもなく
「使える時間をゲームに振り切っている人」ドン!
これでしょう!
お金と時間に関係なくゲームに対する純粋な熱量がハードゲーマー足らしめるものであるべきですよ。
あまり時間がない中でも少しでもゲームを遊ぶ姿勢、たくさんは買えないけど1本のソフトを何度も遊ぶ姿勢。それらはハードゲーマーに相応しいはずです。
逆に、時間もお金もあるけどゲームから逃げているというのはライトゲーマーでしょう。
実際にはゲーマーなら誰しもがそういう期間を通った経験はあると思いますが、やっぱり遊んでなんぼ、遊び続けてるやつは強いです!
ということで以上です。過去の3記事に続いて今回も上手く着地できませんでしたが、少ない時間でもゲームを遊ぶ姿勢というのはやっぱり大事だと思います。
コメントでは量と質のどちらを重視するかを書いていって貰えると助かります。
このハードゲーマーの素養は趣味かそうでないかも大きいかもしれませんね。
社会的な評価だとか仕事もそっちのけ(それはそれでどうかな気はしますが)でゲームの話題に欠かない人は十分ハードゲーマーはします。
逆にライトゲーマーの可否は重課金か無課金問わず何かしら傾向は出てきます。なんせプレイ時間やダウンロードのデータ容量は元より「明らかにやり込んでるなこの人」ってデータが出てきますし